おひとり様が行く~咸陽2 介坪韓屋マウルを散策

陜川・咸陽

介坪 (ケピョン) マウルとはどんなところなのでしょうか? 村の中にある慶尚南道作製のこの観光案内板が説明してくれています。

咸陽の介坪韓屋マウルの案内板

この案内板、最近作られたようで、なんと韓英日中の4ヶ国語で書かれています。これがとても簡潔でわかりやすいのですが、この写真だと読めないですよね? ここに書き写してみます。

咸陽の中心部にあるケピョン (介坪) 村は’左安東、右咸陽’と言われるほど、多くの儒学者を輩出した慶南地域を代表する士人の村で、朝鮮時代のオヒョン (五賢) の一人である一蠹 (イルドゥ) 鄭汝昌 (チョン・ヨチャン) 先生の故郷でもあります。河東・鄭氏と豊川・盧氏の2つの家が古くから定着し村を形成しており、一蠹・鄭汝昌先生、玉溪・盧禛先生など、歴史的学者を輩出してきました。ケピョン村には咸陽一蠹古宅 (国家民俗文化財第186号) をはじめとする多くの伝統家屋が指定文化財に登録されています。また、先祖たちが風流を楽しんでいた教授亭 (慶南文化財資料第76号)、一蠹先生が瞑想をしていたと伝わる介坪里松群落地 (慶南記念物第254号) など、先祖たちの衣食住や生活習慣などを知ることができる貴重な文化資源が多く残っており、民俗資料としての重要な価値を有しています。

咸陽介坪マウルにある案内板より (一部の漢字や読みは一般的なものに修正させていただきました)

えー、私は韓国の歴史はあまりわかっていなくて上に書かれている方々がどんなにすごい人達なのか全く知らないのですが、要するに介坪マウルは1800年代頃に建てられた歴史的に価値のある古宅が何軒も残っている村なんです。

介坪マウルに入って小川沿いを歩いていると、まず目に入ったのがこの風景。

咸陽の介坪韓屋マウル

素朴な木造りの橋に小川に緑。こういうのどかな風景が大好き。さらに道を進んで行くと、古宅が現れました。

咸陽の介坪韓屋マウルの盧参伴宅

盧参伴宅、コネストの地図では盧近泳先生生家という名前になっています。

咸陽の介坪韓屋マウルの豊川盧氏大宗家

こちらは豊川盧氏 大宗家。このお宅は世祖の時代、つまり600年以上前に建てられたのですが、70年ほど前に修繕されたそうです。古宅のわりにはかなり新しく見えます。

咸陽の介坪韓屋マウルの河東鄭氏古家

続いてこちらは河東鄭氏 古家。1800年代に建てられたこちらのお宅、敷地がとんでもなく広くって、敷地内には大小いくつかの建物が建てられていました。お庭には芝生がきれいに敷き詰められていたのですが、お庭の部分だけでもあと2軒は家が建てられるぐらいの広さでした。上の写真は母屋です。

咸陽の介坪韓屋マウルの河東鄭氏古家

こちらは母屋とは別の通りに面している門。

咸陽の介坪韓屋マウルの河東鄭氏古家

この建物も敷地内にあります。お庭もきちんと手入れされていました。ピンクのツツジが映えますね。

河東鄭氏古家のすぐそばにはもう1軒文化財になっている古宅があります。

咸陽の介坪韓屋マウルの梧潭古宅

梧潭古宅、こちらも1800年代の建物です。これらの文化財となっているお宅はどれも自由に見学できるようになっています。私が見学中には人の気配はなかったのですが、管理人の方がいらっしゃるだけなのか、あるいは子孫で住んでいらっしゃる方がいるのか、無人のお宅ではない気がしたし、あんまり近づいて触ったりしたらいけないような気がして、細部の写真を撮るのは遠慮してしまいました。

こちらの村は文化財になっているようなお宅ばかりではなく、普通のお宅もあります。梧潭古宅を出てすぐのところにあるこのお宅のたたずまいに私は惹かれました。

咸陽の介坪韓屋マウル

今どきの郵便ポストはついていますが、雰囲気からして多分無人のお宅だと思います。石積みの壁とか、触ったら壊れてしまいそうな木の門とか、いい味出していると思いませんか?

他にも村の中でこんなオブジェを見つけました。

咸陽の介坪韓屋マウル

革?ビニール?と木でできた牛さん。ボディに書かれている「나는 여기 있소! (ボク、ここにいるよ)」の「イッソ」の部分が現代の書き方の있ではなく昔の書き方の있になっているんですよね。

「ミスター・サンシャイン」でも

「ミスター・サンシャイン」の小道具

このとおり「ポゴシッポッソ」のソがこちらのになっているんです。この発見が妙に嬉しくって。

これは偶然の発見だったのですが、この村と「ミスター・サンシャイン」はもっと深~い?関係があるんです。その話は長くなるので、次回に。

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